武藤吐夢@ BLOG

令和になって読んだ本の書評を書いています。 毎月、おすすめ本もピックアップしています。

カテゴリ: 齋藤孝

「学問のすすめ」を誤解していた。これは今でも役立つ自己啓発本だ。



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難しい。古い。平等思想
天は人の上に人を作らず・・・
一万円札
慶應義塾

これが、私の「学問のすすめ」、福沢諭吉に対するイメージだ
ぜんぜん違う
これは自己啓発本ではないか!

明治に書かれたものだから古臭い
それはそうなのだが、役立つ考え方もあるのだ
イメージが変わった

本書は、現代人が江戸、明治時代にタイムスリップし
福沢諭吉と交流し、「学問のすすめ」で使われている言葉、思想などを学ぶという形式になっている
多少強引で難解なところはあるが、文章での解説が丁寧なので置いて行かれることはないと思う
そういう意味では優れた本だとも言える

これを読めば、だいたい福沢の考えがわかるようになっています
作者が斉藤孝さんなので、わかりやすさを念頭においているのがわかります
福沢の言葉はポジティブで心に刺さります
名言の宝庫でした

てっきり、平等思想を流布するために作られた思想本と思っていたのですが違いました
学問をすすめる本でした
学問をすることで人は変わり自己実現が可能なのだと書いてあります
学問は、もちろん手段である。最終目的は、自立した国、人になることです

名言を少し紹介します

学問に入らば大いに学問すべし、農たらば大農となれ、商たらば大商となれ
学問をするなら、精一杯学問をするべきである。農民なら大農に、商人なら大商となれ
つまり、高い目標を持て、そうでなくば努力は続かないという話しです


我心を持って他人の事を制すべからず

自分の考えで他人を縛ってはいけない
こうあるべきの押し付けは、その人の考えや、やり方の否定につながり良くない

不善の不善なる者は怨念の一箇条なり

欠点中の欠点は、怨念である

自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるの間にあり

自由と我儘の境目は、他人の害になることをするかしないかである

真偽の際につき必ず取得の明なかるべからず。蓋し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん

信じる疑うという時には、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、この判断力を確立するためにあるのではなかろうか


独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う

独立とは、自分の身を自分で支配して、他人に依存する心がないことを言う

独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を怒る。人を怒るる者は必ず人に諂うものなり

独立の気概のない者は、必ず人に頼ることになる。人に頼る者は、必ず人を恐れるようになる。人を恐れる者は、必ずその人に諂うようになる


「学問のすすめ」で福沢が言いたかったことは、学問をしなさい。自分の足で立って、考えて行動する力を養いなさい。学問を通じて人は生まれながらの状況や立場を変えることができるということだと思う


2019  12/21
令和 121 冊目


豊かさ(幸せ)は自分の身体が感じ取るものだ。



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 幸福論が好きで、色んな著者の幸福論を読んでいる
 本書をカテゴリー分類すると「幸福論」
 いかに人生を豊かに生きるかについての考察である
 視点が面白く楽しめた
 後半出てくる武士道推しには少し疑問を感じたが、考え方の全体的な方向性も内容も間違っていないと思うから安心して読めます
 
 本書を一言で表す言葉は、これではないかと思う。


豊かさ(幸せ)は自分の身体が感じ取るものだ。


 幸福や豊かさを頭だけで考えようとすると、本当の意味での幸福には到達できない
 便利な世の中になったもので、私が5年くらい前に行ったルーブル美術館の絵画も今ではネットの写真で閲覧可能?である
 だが、著者は言う。それと実際に見るのとは感動。つまり、幸せになれる度合いが違うと
 とは言うものの、私はツアー旅行で行ったから、時間的な制約があり、きちんと見られなかったのだけど、著者の言うような十分な知識を得た後で、その絵画を見ると、やはり違うと思うのだ
 写真をネットで見るのと、自分の目で見て身体で絵画を感動するのでは、かなり意味が違うということである
 これは他の例でも示されていて、サッカーをネットで結果を知るのと、テレビで見て解説を聞きながら観戦するのでは体感が違うというのだ
 この差異は身体体験(試合を見る。雰囲気を身体全体で感じる)があるかなしかであるのだ
 豊かさ(幸せ)は自分の身体が感じ取るものだ
 という所に話しは戻ってくる
 
 体験とは、これは初めての瞬間とも言える
 だから、感じるものも多い
 
 感覚の老いの話しがおもしろかった
 大人になると、他人が作ったものを評価することで満足してしまうことがある
 これが感覚の老いだ
 Nietzscheは、そうした人々を、価値創造せず、すでに創られている善悪の基準に縛られているだけだと批判した
 
初めての瞬間が、とても大切なのである
 つまり、知識だけの頭でっかちはいかんというわけだ

 ただ、面白いではなく、五感を通して子供の時のように感じるのが大切なのです
 どういう感覚かと言うと・・・

上手いサッカー選手の動きを見ていると、次第に自分がその選手の動きの中に入り込んで自分がやっているような感覚、言うならば身体的感情移入・・・・

 この感覚に真実の幸福を得るヒントがあるのです

 幸福について、このように著者は述べている

 世界には豊かさがたくさんあります。目の前の豊かさを感じられるようにさえなれば、幸せに生きることができる。

 この名言が心に残った

 波は自分の気持ち次第でどこにいても見つけられるものだ・・・が、実は、どんな時でも目の前にあるものなのだ

 簡単に幸せになる方法をまとめると

  自分の外にある豊かさに気づくことが大切
  飢餓状態を作る(情報過多を避ける)
  案内役(知識習得のための先生)を見つける。知識がないと理解できないこともあるため。より楽しむには知識(学び)が必要
  他人と相互に刺激しあう、細部に注目する・・・

 メルロ・ポンティという哲学者の言葉
 真の哲学とは、世界を見ることを学びなおすことというのが良い

 例として松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む、水の音」があげてある

 蛙が水に飛び込む音は珍しくありませんが、水音の背後にある美しい静寂の一瞬にはっと気づいて、その世界を表現したのが芭蕉であると著者は言っている

 良い作品の中には、それまでとは別の視点。世界を見ることを学びなおす。違う見方で世界を見るということが含まれているのです。そこには体感。身体で感じる感覚があるのだという。

 もう1つ、身体を通して世界を見ることを学びなおす例をあげます
 ヨガの「死体のポーズ」
 大の字に転がって、死体になったつもりになるポーズです
 一度死んでしまったと思うと、この身体に対して無理をするつもりがなくなります
 人に逢って緊張したり、考え事で頭を悩ませたりすることはない
 これは身体のスイッチを切りリセットするという作業です

 幸福になるための方法として、身体感覚を語るという本は珍しかった
 
豊かさ(幸せ)は自分の身体が感じ取るものだ。
 これは覚えておきたいことである。



2019  9/26
令和 80冊目
☆☆☆ 




生きることの豊かさを見つけるための哲学 [ 齋藤孝 ]
生きることの豊かさを見つけるための哲学 [ 齋藤孝 ]




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