肖像画の醜さが怖いのではない。ドリアンの心が悪に染まっていくのが怖いのだ。


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映画化もされている古典の名作なのですが、これは心理ホラーなのか、それとも純文学なのか?。
ドリアンは美しい美青年、彼に惹かれた画家の友人が肖像画を描く。
その時、ドリアンは永遠の若さを欲する。

ドリアンのこの願いは叶えられて、彼は年をとらなくなった。
そのままの一番美しい姿のままで20年近く生きている。

後半、姉(若き日のドリアンの恋人、女優)の敵討ちをしにやってくる船員の男に生命を狙われるシーンが愉快だ。
自分の顔を明かりの照らす中で、彼に見せる。
事件は、18年前の出来事である。
彼の容姿は20歳そこそこ。別人だと、弟は思い諦める。

そう、彼は年をとらないのだ。


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 彼の美しさはそのままだが、肖像画の方は変り果てるのである。
 彼が悪に染まっていくたびに、肖像画は醜く変化していくのだった。

 彼は前半で女優に恋をするのだが、彼女と結婚するつもりだったのに、彼女が彼を好きになりすぎて夢中になって芝居に集中できなくなりひどい失態をしてしまう。そこで彼は彼女に絶望し、ぼろ雑巾のように彼女を捨てるのだった。

「君は僕の愛を殺してしまった」と大げさに言うのだ。芝居が下手だっただけで、愛が死んだなどと大げさで、この男、自分のことしか念頭になく。彼女は絶望し毒の薬を飲んで自殺する。

 この醜悪な行為をしても、彼の美しさは変化なかったのだが、肖像画の方が少し醜くなっていった。
彼は絵を見て、自分がいかに彼女にひどいことをしたのかを気づくのだ。

 その後も彼は反省せずに、少しずつ悪くなっていく
肖像画の前に立つと、カンバスの上のいまや邪悪に年老いている顔と、磨きぬかれたガラスの表面から微笑みを返す若く美しい顔を見比べていた。その鮮やかな対比に彼は激しい喜びを感じるのだった。彼はますます自らの美貌を愛し、自らの魂の堕落を面白がるようになっていった。
 まるで、悪を楽しんでいるかのようである。

 この肖像画を描いた親友をも、彼は殺してしまう。
 このシーンはかなり残酷だ。化学に精通している友人に死体の処理をもさせてしまうのだ。
 彼の美しさはそのままで、心の醜さ、その悪は肖像画の方に吸収されていく。

 この小説は、この設定を読ませるものである。
 若者の代わりに、肖像画が年老いていく。
 これは何を表しているのか?。

 古代から人は永遠の生命を求めて生きてきた。
 若さに価値があると信じている。それは死から遠い存在としての価値であり、美醜でいうと美しいという価値だった。
 主人公は、美しい青年だ。故に、永遠の若さを求めた。それは魂と引き換えにしても欲しいものだった。つまり、青年は「若さ」と引き換えに、魂を売却したということなのです。
 突き詰めていくと、それは「裏切り」である。自分を裏切った行為であり、後ろめたさがあり、それは不安心理と関係してくる。恋人に対する酷い仕打ちはいつまでもトラウマとなり、その不安を埋め合わせる形で悪へと走る。逃げる。ますますドツボにはまり、親友の画家を殺したところで、もはや引き返せなくなり、彼は破滅の一方通行の道を行くしかなくなったのです。
「若さ」や「美しさ」を失うのを恐れるあまり、彼は自分の中に存在していた「善良さ」を失っていった。不安を胡麻化すため、新たな刺激を求めていった。どんどん、彼は悪に染まっていく。アヘン窟に通うシーンはその象徴である。
 これは欲望の前に立たされた人間の弱さを表現しているのだと思いました。
 肖像画は、「悪」に負けた、その人の心の弱さだ。
 怖かった・・・。


2020  5/11
令和2年75冊目
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