映画と、ずいぶんと印象が違った。いいかげんのようで、きちんと思想的な背景がある作品だった。


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ピノキオは、嘘をつくと鼻が伸びる子供向けの話しという、ディズニー映画のイメージが強いのだが、実際に読んでみると全く違う。

いいかげんで、すぼらで無計画な出たとこ勝負の場当たり主義の条件反射。
そう読めなくもない。

例えば、サメに食われるシーンだが・・・
映画では鯨です。
とにかく、でかいのです。ビルくらいの大きさだし、その中でジエッペット爺さんと再会するのだが、2年も暮らしていたと爺さんは言う。たまたま、船があって、そこに缶詰などの食糧があったというが・・・。
胃液ですぐに溶けると思う。2年は無理だ。

狐と猫の詐欺コンビに、捕らえられて首つりにされるシーンがある。
かなり前半のところだ。死んだはずなのである。
次の、場面では仙女なる女性によってピノキオは助けられるのだが、解説を聞くとその背景が笑える。
作者のコッローディは教科書作家だった。そんな彼が書いた子供向けの本が本書だ。
本作は、新聞だか雑誌の連載のために書かれたものだったが、書いた動機が笑える。
コッローディは賭博狂で膨大な借金があり、この連載を引き受けたら相当な額の金が入るということで引き受けた。ピノキオを殺した?。・・・のは、借金が返済できたためとされている。
何か、裏話しを聞かされると、この作者のいやいや書いている感じがわかって、そう言えばストーリーも何か無軌道で計画性がなく場当たりなんだ。

例えば、お爺さんが外套を売ってノートを買って、ピノキオが学校に行くことになる。
木の操り人形なのに学校に通うのである。
だが、芝居が見たくてノートを売る。そこで芝居の邪魔して・・・、薪にされそうになるのだが、劇団員が助け舟をだしてくれる。こいつも木の操り人形なんだそうだ。何か、いきなり、そうなった。それで、その子がヤバくなるのだが、そこでピノキオが助けて、何故か、その親方が金をくれる。
何で、そうなるのか?。ピノキオの父親が貧乏で同情したという理屈なのだが、すごく矛盾している。
その金を猫と狐の詐欺師に騙されて奪われそうになり、首つりの刑にされるというのが前半のあらすじだが・・・。かなり場当たり的に思える。

この詐欺のシーンが、前半の山場となるのだが、これがバカみたいだ。
4枚の金貨をある土地に埋めて水をやると2000枚とかの金貨に育つというのだ。
そんな上手い話しがあるわけがないのに、ほいほいとついていくのだ。
殺されるというのは、子供向けとしては過激だ。
仙女が出てきて復活、だけど、金は、もう一度遭遇した狐たちにだまし取られるというのもストーリー展開としてもびとい。御都合主義的である。
だが、何故か、そんなものだと思って読んでいると、これがだんだんと面白くなってくるのだ。

ピノキオの鼻は、嘘をつくと伸びるのであるが、前半、そうでないのに伸びるシーンがある。
私が、この本を読むきっかけになったNHK教育の"100分de名著"によると、感情が高ぶった時に鼻は伸びるそうである。
中盤に、嘘をついて鼻が伸び、それを否定すると鼻が戻るところがあるのだが、このシーンは大切なシーンだと言っていた。つまり、ピノキオは自分の感情の制御ができるようになった場面であり、それは仙女からの自立を意味するのだそうだ。解説がないと、まったくわからない。子供の我儘に思えてしまう。

ピノキオは、勉強は嫌い、働くのも嫌、親の金は盗む、平気で嘘をつく子なのだが、そんな彼が冒険の途中で腹が減って物乞いをするシーンがある。
手伝えば、金をやると言われる。でも、彼は拒絶する。
最終的には、女性の水くみの手伝いをして食料にあずかり、それが仙女だったという展開になる
実は、この仙女、一回、死んでいるのに、ここで復活するのだ。この物語が無計画なのは、こういうところなのである。
このシーン、「働かざる者食うべからず」。
つまり、子供に勤労の重要性をといているのかと思いきや・・・
先ほどの番組で解説していたのは違う意味だった。
当時のイタリアは産業革命の影響で労働者不足で児童までもが過酷な長時間労働を強いられていた。子供であっても食うために働くのが当然だという社会であったわけだが、それに対して作者は疑問符を問いかけている。それが、このシーンだというのだ。
つまり、児童の過酷な長時間労働はおかしい。働かないと子供でも食うなというのは変と言いたいのだ。だからピノキオは労働を拒絶したのだ。
これも解説がないと意味不明なのである。

後半の山場の1つは、せっかく仙女がピノキオを人間にしてあげるというのに、ピノキオは友達と一緒に「おもちゃの国」に行ってしまう。その国は、勉強しなくていい、学校に行かなくていい、ずっと遊んでいられるという子供にとって理想の国なのだった。
ピノキオと友人は5か月くらい遊びまくるのだが、いきなりロバになってしまい。売られて、サーカスで芸をさせられたりするが、足を怪我すると海に沈められて殺されて毛皮にされそうになるが、何でか、また、助かる。元の姿に戻るのだけど説明が曖昧だ。にしても、また、殺されかける。子供向けの本とは思えない残酷さだ。

このシーンは、小説だけを読んでいると楽しいシーンである。
バカのピノキオが、また、単純に騙されたのである。欲からきたことなのである。さぼりたいから、こんなことになったのだ。自分のせいなんだ。
しかし、このシーンも裏読みできる。
先ほどの番組によると、当時のイタリアは児童の人身売買が盛んで売られた子たちはサーカスとかで働かされていたというのだ。

つまり、この作品は社会問題を扱った作品なのだ。

最後のシーンで、映画と同じようにピノキオは木の操り人形から人になるのだが、おもしろいのは小説では、人間ピノキオと別に人形も目の前にあるのである。
このセリフが意味深だ。

あやつり人形だったころのぼくって、なんて滑稽だったのだろう。こうして、ちゃんとした人間になれて、ほんとうによかった

って言っているのだ。
これがピノキオの成長の物語だと解釈するのなら、このセリフは自立を意味するのか?。
人の言いなりに欲望のままに生きていた自分。あやつられていた自分から、誰にもあやつられない人間になったということなのか?。
当時の長時間労働、人身売買の被害者の子供たちに向けてのメッセージなのか。
人の操り人間になるな!
自立した人間になりなさい!

小説だけを読んでいると、ただの悪童の冒険小説みたいに読めてしまう。
ここは、解説本と合わせて読むのをおすすめしたい。

2020 5/6
令和2年72冊目
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ピノッキオの冒険 (光文社古典新訳文庫)
カルロ・コッローディ
光文社
2017-01-27