老人ホームを群衆が燃す話だが、そこには人間のいびつさが剥き出しとなっている。



IMG_0168


高級老人ホームで暮らす目がほとんど見えない老女と、親友のハンガリー人の爺さんたちの友情の物語。
このトバイアスというハンガリーの爺さんは、マウントをとりたがる人です。
でも、目の見えない婆さんには優しい。
ある日、施設が群衆にとり囲まれた。職員たちは逃げだし、老人たちだけ取り残される。
警察も政府も助けてはくれない。

「聞こえたか?。老いぼれを燃やせだ!。聞こえたか!」
群衆たちは松明を持って叫んでいる。
食べ物もなくなりつつある。

みんなで出ていって助けを求めようと言うのだが・・・

「・・・一致団結していけば!、報道陣だって来ているんでしょう。止められるもんですか、世界中が見ているんだから!」
「それは当てにならないなぁ」トバイアスは言う。「世界中の人々はそういうイベントをリング脇の席で見物するのは大好きだ。魔女の火炙りや公開絞首刑には、つねづね見物人がつめかけたものだ」
本作の最後は、こんな言葉でしめくくられている。

すでに、あちこちから火の手がまわっている。
・・・あんなに楽しそうに!。近づき、抱擁し、また離れて、空中でのダンス。見てよ。見てよ。歌っている。

米国では、実際にコロナの今、高級老人ホームを取り囲んだ抗議集会が起こっている。
膨らみ続ける社会福祉費用。高齢者により富の独占、そして、若者たちの貧困の問題が背景にある。
しかし、これはおかしい。
本末転倒である。コロナで老人たちは死んでいいとか、格差問題を彼らのせいにするのは間違っている。
本作品は、そのことを訴えているかのようである。

見てよ、見てよ。歌っている。

この最後の言葉をどう解釈すべきか?。
見ているのは火をつけた群衆なのか?。
それとも火がまるで歌っているように迫って来ているのか。
解釈のしようで、これは強烈なインパクトとして読者に迫ってくるわけである。

2020 7/12
平成2年120作品目の読書
*****


文藝 2020年秋季号
河出書房新社
2020-07-07